そんなこんなで祖父母の家に住む事になり、そこから学校に通う日々が4カ月ほど続きます。
祖父母の家は夫婦二人では住むには十分な家かもしれませんが、5人で住むにはめちゃくちゃ狭くてかなりストレスでした。なぜこの家を買ったのか?と不思議に思うほどこじんまりとした一軒家でした。周りの家もそんな感じの家が多かったので、祖父母が購入した時はよくある一軒家だったのでしょうか。
脱衣所なども狭く、すぐそこの扉を開けると居間なので開けられないか毎日ヒヤヒヤでした。祖母もまたデリカシーを持ち合わせていないので、あまり気を遣ってくれないのです。そして扉を開けられる事がしばしばありました。
一度大きな声で「開けんといて」!!と言ってしまった事があり、祖母は何でも母の姉である伯母に伝えるので、更にクセの強い伯母から文句を言われた事もありました。
住み始めて最初の頃はバイトも決まらず友達もできていなかったので、学校が終われば祖父母の家に帰るという生活でしたが、本当に苦痛でたまらなかったです。扉のついた部屋があればまだいいのですが、とても小さい家なので、二階は階段を登ったら10畳ほどの部屋のみなのです。(正確には5畳が2部屋なのですが、その間の襖はなくされていました。)
プライベートもありませんし、荷物も着の身着のまま祖父母の家に来たので何もありませんでした。そもそもお金も全然持っていなかったので、寄り道すらできない状態でした。
母も姉も仕事が決まって働き始めていて帰りは遅かったので、1人2階で布団に籠りただ時間が過ぎるのを待つ、という感じでした。今みたいにスマホがあればまだ気を紛らわす事ができるのですが、まだガラケーの時代でしたので何もできませんでした。
祖父母の家に住み始めて1カ月半位はそんな生活をしていて、それ以降はバイトが決まっていたので学校が終わったらそのままバイトをして終電まで働いてから家に帰るという生活をしていました。バイト代がまだ入っていない状況なのでまだまだ遊んだりはできていませんでした。
そこから更に1カ月ほどでようやくバイト代が入ったので、少しずつ服とかを買い始める事ができました。3月の終わりから6月初めまで、必死で家から持ってきた服4セットでなんとか頑張って通学していました。周りはキラキラしている子が沢山いた中、みすぼらしい恰好😭で通学し、遊ぶ時間もお金もなかったのでとても惨めでしたし、思い描いていたものとはかけ離れた現実となってしまいました。
『いいなぁ、私もあの事件がなければあんな風に今から遊びに行けてたのかな・・・あんな可愛い服を買えてたかな・・・』と当時はよく考えていました。
そこから更に1ヵ月後の7月の初めに、やっと母・姉・私の3人で住むマンションが決まり引っ越す事になりました。
祖父母と過ごした4カ月弱の期間は辛いものでしたが(家が狭すぎて辛かったという方が正確かもしれません)、祖父母がいなければ私達は路頭に迷うところでした。学校へ入学金を払わなければいけない時期にこのような事になってしまいましたので、当然うちにはお金はなかったので祖父母が出してくれました。
『〇〇ちゃん(私の名前)おじいちゃん達が出してあげるから、心配いらんよ』と言ってくれました。そのお金がなかったら私は学校に通う事ができませんでしたし、就職も厳しかっただろうな、と思います。
その後も私はお金に余裕がなかったので、その入学金を返す事のないまま、祖父母は亡くなってしまいました。そこが今でも申し訳なく思います。
そして、あの時に何とか生き延びれたのは祖父母のおかげだったな、と今になって感謝の思いでいっぱいです。