私は1.2年生の頃、夏休みに入るのがとても嫌だった記憶があります。なぜなら、母の機嫌が悪い事が多くなるので怖かったからです。
今もなのですが、私は朝が苦手なのでなかなか起きれないのです。(と言っても、子供の学校があるので間に合うようには起きていますが。)
起きるのが遅いと足蹴りで起こされる事がありました。それはそれは痛いので、サッと起きる事ができます😂
そもそも、母は子供の睡眠を整えるという事をしなかったので、私は寝るのが遅い子供でした。授業中なぜこんなにも眠いんだろうと思う事がよくありましたが、きっと睡眠時間が足りてなかったのでしょう。
また、宿題を見てもらう時に私の理解が遅いと、バチーンと頭を叩かれるので、とても恐怖でした。
今思うと、元々少しぼんやりとした性格である事と早生まれだった事、そもそも睡眠が足りていなかった事で、勉強に身が入っていなかったのだと思います。早生まれの子は周りとの成長の差を感じる事がありますよね。そういった所を考慮しサポートするという事を持ち合わせていない母ですので、ただ出来ていないという所だけを見て、叩かれるのです。
いつ叩かれるの分からないので、本当に怖くて、間違えたらどうしよう・・・とさらに集中する事ができなかったのです。
私は超インドアなので家で過ごす時間がとても大好きなのですが、母と過ごしていた日々は母の機嫌を伺い、どこか気の抜けない思いで過ごしていたと思います。今日は機嫌が良い!よかった~!とよく思っていた事を覚えています。
うちの毒親度は恐らく中の中くらいでしょうか。本当に壮絶な虐待はなく、母の機嫌が良い時は、普通に過ごせていました。しかし一般的な母親が当たり前にしてくれる事はしてもらえなかった様に思います。子供が親に口答えする事は決して許されないので、反抗的な態度も許されなかったですし、いつも顔色を伺いながら過ごしていました。
例えば、母がティッシュを取ってくれ、と言うと必ず取りにいかなければいけません。自分もテレビとか見ていたり、無理な時だってありますよね。そこで「嫌だ」と言うと10・9・8・7・・・とカウントが始まります。0になったらどんな恐ろしい事が待っているのか・・そう思うといつの頃からか体がすぐ動くようになっていました。
ちなみに0の瞬間を体験したのは高校1.2年の頃でした。学校から疲れて帰ってきて夏だったので冷えた麦茶を飲みながら座っていたら、母からささいな頼み事を頼まれました。けれど、めんどくさかった為、「ムリー」と言って、その時初めてカウントが始まってもお茶を飲み続け無視したのです。あーこの後叩かれるのかなー・・・そしたら、母は持っていた一味の小瓶をこちらに向け投げてきたのです。
小瓶は見事私が持っていたガラスのコップに命中し、ガラスは粉々に割れ私はその破片で足をすこし切ってしまい血が出ていました。本当にびっくりして、思わず泣いてしまいました。
この出来事はとても悲しかったですし、こんな小さな言いつけを無視しただけでここまでされるのか・・・と本当にびっくりした事を覚えています。
母はごめんどころか、「言う事聞かんとそうなるんや」と言い捨てました。その後の処理は自分でしたのか母がしたのかは忘れました。
あまりにもびっくりしたので、今まで一度も父にそのような事は言わなかったのですが、数日後、父が帰ってきた時にこの出来事を話したのです。
けれど、帰ってきた言葉は「お前が悪い事したんやろ」でした。本当にたったそれだけでした。
悪い事・・・当時の私の中では母の言いつけ?ささいな頼み事?を聞かなかった自分が悪いと思っていたので、何も言い返す事はしませんでした。
私も今子供を育てていますが、たまに子供にあれ取ってー!とお願いしたりしますが、取ってくれた時は「ごめんね、ありがとう!」と言います。
無理だった時は、自分で取りにいきます。それが普通の感覚ですよね。自分が言ったささいなお願いを断られても、怒る事はありません。それが自分が楽をしたい時とかに言ってしまった事なら尚更です。
けれど母はそんな事すら見逃してくれないのです。自分の言う事を聞けないやつは許せないのです。
父に伝えたその時の様子を見ていた母は、「あんたの味方するとでも思った?」と鼻で笑いながらまたまた言い捨てました。
あーー味方はいないんだな・・・その時私は軽い絶望を味わったのです。